名古屋にある北区の伝説などについて、詳しく解説するサイト『名古屋市北区の言い伝え』

●●●志賀・光音寺●●●

【綿神社】

綿神社の起源は古く、弥生人渡来の時が起源と言われています。
この志賀の街は2000年以上も前に弥生人が住み着いたと言われており、その説が正しい
とすると綿神社も2000年以上の歴史があると言えます。
綿とは海の仮字として用いられたもので、当時このあたりは海だったのでしょう。
一度は荒廃してしまうのですが、戦国時代に現在の志賀公園に屋敷を構えた平手正秀が社殿
を再興し、鏡と手彫りの狛犬を奉納したと言われています。

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【志賀公園】

志賀公園は平手正秀の家があったところです。
ずっと信長の改心を願っていた平手正秀は1553年、諌言を残しここにあった自宅で自殺
をしたのでした。
それを聞いた信長は馬を飛ばして駆けつけ、枕元で泣いたと言われています。
そして信長は改心し、天下統一に向け一歩を踏み出したと言われています。
志賀公園はこの由緒ある地を永く保存する目的で1930年に土地区画整理組合によって
造成され、1934年に名古屋市へと寄贈されています。
志賀公園は平手家があった時代よりずっと昔にも、文字が墨で書かれた習書木簡や、さらに
時代を遡り前方後円墳や土器、石器も出土しています。
とても歴史と関わりの深い公園といえるでしょう。

【光音寺】

光音寺は光音寺町の町の名前の由来となったお寺です。
このお寺は由緒ある有名なお寺で信仰も厚く、この一帯は盛綱村と称していたのですが住民
が光音寺の村と呼ぶようになり、鎌倉時代から光音寺村となったそうです。
境内の墓地には女義太夫の第一人者、豊竹呂昇が葬られています。
光音寺の北側には庄内用水が流れています。
庄内用水は北区庄内川の三階橋と中川区の荒子川を結ぶ28kmの水路で、今から400年も
前に開削されたと伝えられています。