尼ヶ坂

尼ヶ坂の由来は?

鐘楼

ここでは、尼ヶ坂にあるお寺や地名の由来について解説していきます。 尼ヶ坂には昔から伝わる言い伝えがあり、こちらもご紹介していきたいと思います。 地域の言い伝えを知ることで、その土地の風土や歴史、風習を知ることができます。 興味のある方は一度、尼ヶ坂を訪れてみるのも良いですね。

【尼ヶ坂・坊ヶ坂】

尼ヶ坂駅のそばには尼ヶ坂と坊ヶ坂という坂があります。 今でこそ尼ヶ坂は車も通る大きな道路となっていますが、かつては杉の木が覆い茂るような寂しい坂でした。 辻斬りも出没して幾人もの通行人が亡くなったそうです。 尼ヶ坂公園の西にある地蔵院はそれらの霊のため、久国寺の住職が祀ったものです。

【坂の由来】

文化年間の頃、このあたりに住んでいた美しい女性が青年武士と恋仲になり男の子を身篭りましたが、身分の相違から無理やり別れさせられました。女性は尼となり世を捨て、幼い子供と二人で暮らします。しかし5月の雨の夜、どうしても青年武士のことが忘れられなかった母親はおかしくなり、この坂道の杉の木に首をかけて自殺してしまいます。 子供は近隣の人に引き取られましたが、片山神社の森をさまよい餓死してしまいます。このことから、母親である尼が自殺した坂を尼ヶ坂、子供が餓死した坂を坊ヶ坂と呼ぶようになったとのことです。この2つの坂では今でも心霊現象が起こると言われております。

【普光寺】

曹洞宗普光寺は1577年に長母寺を本寺とする真言宗として建てられたのですが、のちに織田信長の持仏で快慶作と伝えられる「阿弥陀三尊」となり、曹洞宗に改宗しています。

【豪潮寺】

豪潮寺は豪潮寛海律師の終焉地と言われているお寺です。豪潮寛海は幼少の頃から仏門に入り、神童と呼ばれ16歳で比叡山に入りました。祈祷をすると、斉朝の病気はすぐに全快したそうです。 その偉徳を偲び、豪潮が亡くなった150年後にこのお寺は創建されました。

【久国寺】

久国寺は三河の法蔵寺から徳川家康の守護仏を貰い受けて建立されたお寺です。このお寺の鐘はいくつもの突起物が出ておりまるで爆発しているかのようで、常識を打ち破った形状をしています。 聞けば納得しますが、この鐘は岡本太郎さんが1965年に製作したものです。