柳原・名城

【深島神社】

青空と鳥居

深島神社のあたりはかつて柳が多く茂った野原で、名古屋城が築城される以前は沼や沢のある野原に柳が多く茂っていたことから柳原と名づけられたそうです。那古野庄の三弁天のひとつとして信仰が厚く、名古屋城の鬼門の守護神としても崇敬され、2000坪の敷地がありました。しかし1885年に村社となり、敷地は10分の1程になってしまいます。戦火で燃えてしまい、現在あるのは1952年に再建された本殿です。

【多奈波太神社】

多奈波太神社は七夕の恋の話がある神社です。戦時中一度焼失していますが、1964年に復興再建されています。七夕にまつわる神社には西区の星神社もあり、これらふたつの神社を結ぶ伝説があります。小田井村の星神社の近くに、若い男が住んでいました。その若者は田幡村の娘と七夕の夜に出会い、度々会うようになりました。そして親しくなった二人は、翌年の七夕の日も会う約束をします。 しかし当日、村は大雨による洪水でとても行けるような状況ではありませんでした。それでも娘は待っている、と若者は必死で濁流の庄内川を泳いで娘の待つ田幡村に向かいますが、若者は庄内川の濁流に飲み込まれてしまいます。娘はそんな天気のこともあり来られなかったのだと思い、毎日この多奈波太神社で若者を待っていました。しかし娘の耳に入ってきたのは、若い男の水死体が上がったという話でした。その話を聞くと、娘は庄内川に身を投げてしまったそうです。この話から、牽牛星は小田井村の若者、織女星は田幡村の娘だと思っていたそうです。

【名城公園】

名城公園の交差点から公園に入るとフラワープラザがあり、ここでは花に関する展示会や講習会を開催しています。花の育て方など相談に乗ってくれるコーナーもあります。 そしてこの名城公園にも恋の話があります。戦時中の名城公園は旧陸軍の錬兵場だったところで、兵隊たちは上等兵の号令にあわせて守山区の小幡ヶ原の演習場へと行進していました。 この行進、陸軍の兵隊は皆が嫌がっていたのですが、信吾という青年はその行進が楽しくてたまらなかったそうです。 それは途中の大曽根にある煙草屋の娘がとても可愛かったからで、信吾は訓練が休みの日に大曽根に出掛け、その娘と仲良くなったのでした。 ふたりは戦争が終わったら結婚する約束をし、信吾は中国の戦地へと赴いたのでした。